イーダの日記

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母の卒寿のお祝いで故郷に行ってきました

金曜日から一泊で、故郷で姉一家と住む母の、90歳の卒寿祝いの会に行きました。

地元の近くの温泉ホテルで、総勢14人の賑やか会でした。

メンバーは、母と、姉の同居家族、別に住む姉の子供家族、合計9人。

私と子供3人と、お嫁ちゃんの合計5人。

合わせて14人です。

 

予約など色々と準備は姉夫婦がやってくれて、私達は行って参加するだけなので、なんか申し訳無い。

姉の孫たちが、歌や踊りを可愛らしく披露しました。

 

私と、子供達も、母の為に何かやらなければという想いに駆られていたので、

子供3人とお嫁ちゃんには、私が前に考えた、“おばあちゃんにおめでとうの挨拶をした後、一言、各国の言葉で何か言う“

という(変かな?と思いつつも)ことを、皆で前に出てやってもらいました。

 

次男は中国語、お嫁ちゃんはタイ語、長女は仕事にもしている英語。

長男はドイツ語が挨拶くらいは出来るはずなのに、難しいからと言って(適当が嫌なタイプなのもあり)その代わり長くおばあちゃんに、話しをしてくれました。

 

私は何をしようか、考え付かないでいたけど、“前日の夜に夢で出てきた事“ をやる事にしました。

 

それは、私が持っている写真のアルバムの中で、幼少の頃近所で父が撮影してくれて、大きくプリントしてある白黒の1枚。

もうアルバムにくっ付いていて剥がせないので、iPadで撮影して持っていき、見せながらその頃の事を話しました。

母がまだ若いお母さんで、当時は着物と白い割烹着を着ていて、私は座った母に潜り込むように抱きついていて、隣には3つ上の姉が立っています。

 

その頃の事は良く覚えていて、母に甘えたり、好き勝手に近所のお宅にお邪魔して面倒をみてもらったり、自由に楽しく幼少期を過ごしていました。

その写真と、あとは百貨店の屋上で撮った写真や、お城の辺りでおにぎりを食べている写真を披露しました。

 

何故その夢を見たのか。

夢でも行っていたので、2回やったのでした(!)

多分、その頃の母の印象が強かったのかな。

元々150センチも無い小柄な母は、腰も曲がってより小さくなったけど、当時幼児だった私には大きく見えた母です。そしてとても優しかった。

 

地元を出て30年も経ちました。改めて、母が元気なうちに故郷にマメに帰ろうと思いました。

母の為に、そして自分の為に。

 

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